ニュースレター「THE DIVISION」

Message & Opinionから


2004〜2005年のMessage & Opinion
2002〜2003年のMessage & Opinion
2000〜2001年のMessage & Opinion

扇の要とカリスマ
東北大学 大学院環境科学研究科 井奥洪二
(2006年3月発行、The Division No.46より)

臓器や生体メカニズムに思いを馳せる時、いったいどのようにして細胞は有機的に協調しているのか、不思議に思うことがしばしばあります。オーケストラのように中心人物がいるのでしょうか、相互のコミュニケーションをどのようにとっているのでしょうか。また、我々一人一人を細胞に例えるならば、この集団はどのような臓器に見えるのでしょうか。
今年のお正月も、ウイーン・フィルハーモニーによるニューイヤーコンサートがTV放映されました。ウイーン・フィルは極めてプライドの高い楽団といわれています。彼らは、公演内容・演奏 者・指揮者も楽員達で決定する自治団体で、原則としてウイーン楽派の人たちで固められています。弦楽器もウイーン製の楽団所有の楽器を使わせています。1842年創立以来、ハンス・フォン・ビュ ーロー、ワーグナー、マーラー、ワインガルトナー、フルトヴェングラー、ワルター、ベーム、カラヤンなどなど錚々たる指揮者のもとで演奏してきました。こんな楽団でタクトを振るというのは 大変なことであり、成功すれば指揮者冥利に尽きるでしょう。中野雄氏の本、「ウィーン・フィル 音と響きの秘密(文春新書)」の冒頭に「オーケストラにとって、良い指揮者とはどういう指揮者を言 うのでしょうか」という質問に対して、時のコンサートマスターであったキュッヒル氏は、即座に「私達の音楽を邪魔しない指揮者」と答えたとあります。彼にかかっては、あのカリスマ指揮者カ ルロス・クライバーも散々です。「あの人の棒はじつに判りにくい。クライバーの振る通りに弾いていたら、アンサンブルが滅茶苦茶になってしまう。だから、私が扇の要の役を担って全員に気を 配り、彼らも私の表情や弓、身振りなどに注目しながら、お互いに音を聴き合って合奏しているのです。私達の前でカルロスは無心に踊っているのだけれど、私達はそんな彼の棒は見ない。楽員達 は皆、私の弓と背中に注目して弾いているのです。」クライバーについて言えば、かつてカラヤンが彼のカリスマ性を恐れて、絶対にベルリン・フィルの指揮台に立たせなかったという話が有名です。 今年は、マリス・ヤンソンスがタクトを振りました。例年と少し趣の異なる奇妙な選曲でした。シュトラウス一家の普段余り演奏されないような曲が多く、ワルツが少なくポルカが多く、そして モーツァルト生誕250周年を兼ねてか、モーツァルトメドレーのような曲もありました。いかにも「私は、昔この街に住んでいましたからツボは心得ていますよ。」といわんばかりの攻略法。こんな やり方もあるのかなと思いましたが、果たして演奏は?自分の音楽を奏でたい団員は満足したでしょうか、小賢しいやつだと思いながら指揮者を踊らせていたのでしょうか?ブラボーのかけ声は多 かったように思います。(しかし、この世界にはブラボー屋というベラボーな商売がある。日本の音楽会で学生らしきブラボー屋があちこち席を変えてやっているのを目にすることがあります。ウ イーンにもいるのかって?それは知りませんが。)かつて小沢征爾は、奇をてらわない正攻法で、いかにも日本人らしく生真面目にやっていました。もっと遊べばよいのにと思うぐらいでしたが、これが持ち味なのでしょう。彼の時にはCD・DVDが大売れに売れたようです、特に日本では。経済的には大成功でしたが、彼が再びこのコンサートに呼ばれる日が来るのでしょうか。 某国の変人首相、ホリエモン、えびちゃん、など各方面にカリスマは居ますが、果たして彼らはその分野のオーケストラに良い音色を奏でさせ観客を満足させているのか、楽員と観客を催眠状態 にかけているのか、はたまた、ただ踊らされているだけで違うところに扇の要が居るのか。一研究者としては、真理の探究と社会貢献を追及し続けたいのですが、耐震強度偽装事件や世界各国で報 告される論文データ不正疑惑等、これほど色々な事件を目の当たりにすると、正常な人がどのような臓器のどの部分の細胞に相当するのか、足元を見失ってしまいそうです。悪い夢ならば、DNAが 損傷を受ける前に早く覚めたいものです。今年も、お互いに切磋琢磨して、正常な社会のための足場材料創製を目指しましょう。


生医材料の開発の社会的システム
岡山大学大学院自然科学研究科(工学系) 尾坂明義

(2005年8月発行、The Division No.45より)

各種のマスメディアは,先日開港された中部国際空港が,初物人気もあり,多数の見学者であふれ ていると,報道している。思えば1994年9月,関西国際空港が開港されたときも同様の状況が生じ た。これは,たまたま筆者が職場の親睦会の世話人が当たった年であり,職場の小旅行に関西国際空 港見学を取り上げたので,よく覚えている。その折の混雑の風景が中部空港の混雑の報道が二重写し になって脳裏に浮かぶ。その時は,展望台への連絡バスが長時間待ちとかで,あきらめて帰途につい た。それ以来,空港自体は何度も利用したが,未だに展望台から空港全体を見渡す機会には恵まれな い。それを思うと,その後の10年間の日本経済の落ち込みがもたらしたとはいえ,現在の関西国際 空港の閑散とした状況とは雲泥の差である。聞くところによると,中部空港はトヨタ/トヨタグルー プが最初から設計等全面的にタッチし,ケチケチで工事等進めたためかなり安く上がったとのこと。 数年後の財務状況には大いに興味がわく。関西国際空港管理会社は,現在国費からの多額の補助を得 て,また筆者の記憶違いでなれれば金利を棚上げしてもらって,やっと昨年度の黒字となった。従っ て実質的には赤字であり,この赤字は,2002年9月のニューヨークの航空機によるテロ事件,2002 年11月,ほぼ時を同じくして起こったアジア地域におけるSARSの流行等のために航空旅客数の激 減(2000年を100として2003年度は-30%:関西国際空港ウェブサイトによる),航空運輸を取り巻 く社会的状況が大きい原因のひとつである。しかし,関西国際空港の設立に係るような巨大プロジェ クトに対し,すべて民間の資本力を宛にするシステム自体の誤りではないかと考えてよい。パリ万博 の利益でその跡地や近隣を整備して,現在の地にシャルル・ドゥゴール空港を建設したフランスは賢 い。その運営はもとのオルリー空港とともにADPと呼ばれる会社にまかされているのはご存知の通 り(ここのウェブサイトはフランス語・英語の二本立てだったのが,近頃はフランス語のみで,使い にくくなった。これは余談。)。 閑話休題,生医材料開発に戻ろう。材料の開発とその製品化には多大の資金と人的資源が必要であ る。また,開発のそれぞれの段階に応じた適切な資金と人との配分が求められる。設計・開発段階で は,医療現場の必要性と材料開発者とのコンビネーションおよび基礎研究費が,また,動物実験や人 体実験では医師の協力とそれに見合う費用の負担,販売とその材料・デバイスの改良費等,が必要と なる。それぞれの段階での人的交流と協力・共同関係も重要なファクターではある。医歯工連携の材 料部門に,お箸の太さの内視鏡を作れとかパソコンサイズのNMR-CT機を設計・製作せよといわれ ても無理というもの。各大学や研究機関で医療とその他の分野との共同作業が立ち上がって久しいが, このような極端なものはのぞいても,意識の差は見られるのではないか。
 資金面ではどうか。こと,健康に関する事物の開発については,特に基礎研究においては既に国家 として人件費を負担している旧国立研究所や大学の研究室を開発拠点として利用することをもっと もっと積極的に考えるべきではないか。( 考 える主体は誰か,も大きな問題。)す べ てを企業体で賄う のはリスクが大きすぎる。そこでは,基礎から応用・実用あるいはその先まで広いスペクトルの中で, 長期・短期の研究開発計画に則った国家的資金の投下が必須となる。 時折叫ばれる知的財産権の問題は,すぐ調整がつく。大きな問題とはなるまい。ただし,これはあ る大企業重役経験者の話であるが,「企業における開発研究の開始はその製品の企業体としての利潤 も考慮して進める。興味に任せて進めることはない。特許も同様。」従 って,「大学では特許等は個人 的興味にまかせほぼ無作為に取得されているのが大多数。これが現状ではないか,売れるものがいく つあるか,疑問。」 メーリングリストの皆様の一層の踏ん張りが必要のようです。


私と医工学の軌跡
物質・材料研究機構 立石 哲也
(2005年4月発行、The Division No.44より)

 1969年1月18日から19日にかけて、二日間の東大全共闘と機動隊との攻防戦の末、東大紛争の象徴的存在であった安田講堂が陥落し、東大紛争は終焉を迎えた。当時工学部の博士課程の学生であった私も一応、ノンポリラヂカルの端くれとしてデモや集会に参加していたが、どう考えてみても工学部にいて打倒、粉砕すべき対象としての国家権力の温床が東大当局であるとは実感できなかった。むしろ怠惰な日常性の中で、それ程目立ちもしないが、一応粒ぞろいの学生を教育しつつ、暇を見つけては欧米のジャーナルでみた新しい研究の追試をし、国内に東大の名で解説・普及するという作業を連綿と続けているという実体がそこにあったのである。その様な現状に対し、「文献実証学に堕している」という自己批判的な論評をした造反教官もいたが、その方が的を射ていたと思う。
 私は材料力学の研究室に在籍していたが、生々流転のレオロジーに強くひかれ、研究室のほとんどが金属材料を中心にやっていた中で、唯一高分子材料の変形と破壊を博士論文の課題としたいと指導教官に申し出て、孤立無援で文字通り文献実証学から始める様な状態であった。紛争当時の東大では通常の講義に対抗できるかどうかはなはだ疑問であるが「自主講座」なるものが反抗的勢力によって組織されており、私も時々粘弾性学をにわか勉強で、数人の物好きな学生仲間に話したこともあった。まだ時には催涙弾のガスが漂い目にしみる大学構内を歩きながら、自分の将来像などとても描き切れる状況ではなく、逮捕された仲間の救援活動の手伝いなども細々とやっていたのである。
 そんな時、図書室の外国雑誌の中にH. チーグラーが書いた変形の熱力学という論文を目にし、徹底した現象論的考察により、物体の変形の非可逆過程を記述するという新しい視点に強く心をひかれ、彼の力学教室があるチューリッヒのスイス連邦工科大学(ETH)に留学したいという思いが日に日につのっていった。幸運にも1970年のスイス政府留学生試験に合格することが出来、7月に仲間の見送る中、羽田空港からジュネーブに向けて飛び立った。生まれてはじめての海外旅行であった。当時、スイス航空の路線は南回りで、途中数箇所で燃料補給のため着陸しながら実に24時間の長旅であった。もちろん研究室では初の海外留学であり、大体地球の裏側の実感などとても持てない東洋の田舎者としてサイエンス発祥の地、ヨーロッパに出発したのであった。
 チーグラーの力学研究室は哲学分野に属していた、自然の力学現象の定式化、未知の力学現象の理論的推定などを主目的とする理論力学を本務としており、日本でいう材料力学はヨーロッパでは工業力学に属している。従って数値計算や実験力学は別の研究室で行っていた。結局チーグラーの研究室にいた2年間に、私は粘弾塑性体の降伏理論と高分子物質を念頭に置いた累積損傷体の非平衡熱力学の二つのテーマを自分で決め、来る日も来る日も、文字通り紙と鉛筆だけをたよりに理屈をこねくり回すことに費やしていた。この2年間はヨーロッパスタイルの肉とワインの食生活、適度な交友関係の他は、あまり豊かとは言えない知恵を搾り出すような理論研究に没頭するという、その後二度と到来することはなかった純粋研究生活に終始していたのである。
 1970年はチーグラーのお弟子さんでその後、スタンフォード大学に勤務していたアンリカーという教授が里帰りしてバイオメカニクスの講義を始めた年でもあった。日本にいた時にもバイオメカニクスという言葉を聞いたことはあったが、それをなりわいとして食べている大学人はおそらくいなかったのではないか。後で調べてみると、その当時、日本機会学会の中にバイオメカニクスに関係した生物機械工学研究会があり、いわば同好会として知的サロンの様なものを形成していたようであるが、生体力学の職業人がいたかどうかは不明である。
 アンリカー教授はスタンフォード大学からポスドクを沢山連れて来て即席のバイオメカニクス研究室をいちはやく作り上げて、アメリカンスタイルのバイオメカニクスを定着させることに奮闘していた。もちろんいわゆるビオメハニーク(ドイツ語)はスイス・ドイツ語圏でも19世紀以来定着し、ヨーロッパスタイルの生体力学としての地位は確たるものがあった。中興の祖、アメリカで盛んになったバイオメカニクスは生体力学を医療のツールとして利用することを第一義とし、生体の挙動を記述することの出来る理論式の構築と実験生体力学の確立を急務として1970年代に急速に進展することになった。その中心にいたのがUCサンディエゴのY.C.フン教授であった。
 アンリカー教授の講義は血管中の拍動の伝播を弾性管モデルで説明するもので、ドイツ語で始まった講義が興奮すると途中で英語に変わってしまうという迫力に満ちたもので、材料力学の知識はこの様にして医学に応用できる事を学生に語りかけ、近代生体力学の前衛としての心意気を十分に示していた。アンリカー教授はその後まもなくETHとチューリッヒ大学医学部との共同利用施設である生体医工学研究所を設立し、初代所長に就任した。私はバイオメカニクスの講義を聴講する一方で、相変わらず力学理論をいじくり回して数編の論文に仕上げたが、具体的なバイオメカニクスの研究は帰国後工業技術院機械技術研究所に就職してはじめて日の目を見る事になった。
 1973年当時の機械技術研究所が、バイオニクス(現在ではほとんど使われない用語、1960年代NASAが生体機能の産業・軍事応用を目的に考え出した。)の研究に従事する研究者を探していた。実際に日本にはその道のプロはほとんどいなかったはずであるが、私の熱意が通じたのか採用される事になった。私がこれまでやってきた粘弾塑性学や累積損傷体の熱力学は、実は生命体の力学的挙動を記述するのに格好のモデルで、若干の手直しで生体に応用可能であった。固体力学の専門家として、骨・関節のバイオメカニクスを中心とした医工学を立ち上げるべくプロポーザルを書き、予算と実験室の獲得に乗り出した。当時の私のボスは島村昭治課長で複合材料が専門であったが、それこそどんなものにでも興味を示す雑食性のマネジャーであったことも幸運であった。まもなく最低限の材料試験装置と共同研究者一名とで骨・関節のバイオメカニクスの研究がスタートした。
 1970年代半ば頃、アメリカ帰りの生物学や医学の若手研究者も若干名ながら東京周辺にいて、口コミで杉並区井荻にあった機械技術研究所でナマモノの強度試験が出来ることを聞きつけ、材料持参で訪ねてくる人がいた。東大自然人類学の木村賛教授(当時、帝京大法医学)や筑波大学スポーツ医学の宮永豊教授(当時、東大整形外科)などである。当時、大学の材料研究室ではヒトや動物のナマモノは機械が錆びるとか、汚いといった理由で素朴に敬遠される時代であった。実際、劇症肝炎で死亡したヒトから採取した冷凍保存の骨・軟骨を大した感染予防処置もせずに力学試験するなど、現在の安全管理や倫理規定など考えも及ばない情勢の中で、手探り状態の研究が続けられていたのである。
 1970年代後半になると日本でもバイオレオロジー学会やバイオマテリアル学会の活動が活発になり、整形外科学会にもバイオメカニクス研究会が生まれる等、研究者のネットワークがようやく出来上がり、それに伴い機械技術研究所は臨床家達の駆け込み寺の様相を呈するようになった。整形外科、形成外科、歯科はもちろんのこと産婦人科や循環器外科の医師が遠く九州や四国から訪問するという盛況ぶりになった。
 1980年、研究所はつくばに移転し、また医工学を取り巻く環境も随分変わってきた。私自身、機械技術研究所バイオメカニクス課長、首席研究官兼生体機械工学特別研究室長時代にバイオメカニクスからセラミックスやチタン合金および種々の表面処理を施したデバイスを中心とする医工学へ研究を発展させ、更には、工技院内に新設した産業技術融合領域研究所バイオニックデザイングループリーダー、東京大学工学部機械工学科再生医工学研究室教授、産業技術総合研究所ティッシュエンジニアリングセンター長、物質・材料研究機構 生体材料研究センターフェローへと転進を重ね、その間、細胞組織工学を基盤とする再生医療技術の開発に携わってきたが、すべてはETHで出会ったバイオメカニクスに始まる。
 再生医工学は将来性豊かな発展途上の医工学の一つであり、工学が臨床医学に直結するという意味で魅力あふれる分野である。その展開をここで詳述することは出来ないが、医工学の先覚者たちが寝食を共にしてその実現を夢見た真の医工連携がわが国で十分に達成したとは言いがたい。特に、我が国の材料工学分野は、地力はあるものの、臨床医学への応用に結びつき、日の目を見たものは数えるほどしかない。医と工の更なる相互理解と献身的な協力が望まれている。


基盤研究と実用化のはざまで
産業技術総合研究所 中部センター 横川善之
(2005年1月発行、The Division No.43より)

 2005年初頭の話題は、スマトラ沖地震とその国際協力でしょう。地震、津波の痛ましい被害に対し、世界各国が競うように援助の手を差し伸べています。Tsunamiという日本語が世界中に広く知られるようになり、地震、津波対策の先進国として我が国に大きな期待が寄せられています。我が国の優越した先進技術が実用化し、世界に広く使われ国際貢献にも役立つことはたいへん喜ばしいことです。
  バイオマテリアルに目を転じますと、この分野でもわが国の研究アクティビィティは極めて高いと言われています。国内はもとより海外で開催される国際学会で最大の参加者数を数えるのは、ほかでもない日本であることが多いですし、様々な先進的なアイディア、優れた研究成果が多数、わが国から発信されています。しかしながら、医療材料では国産品がほぼ100%というものもありますが、輸入品がシェアを占めるものが多いようです。
  商品化していくためには、乗り越えるべき課題があります。基盤研究と実用化の間に、あたかも乗り越えることが困難な深い谷(Death Valley)があるように思えます。Death Valleyはシーズとニーズのギャップによるもので、マッチングの難しさが存在します。中部センターの技術で実用化された生体材料がありますが、私たちがそれほど重要視していなかった特徴が商品化のポイントであったようです。もし、我々が重視したポイントだけをアピールしていたら商品化できたかどうか、心許ない気がします。研究のインテンションは、面白いという興味ですが、往々にして個人的な関心の袋小路に入ってしまうおそれがあるようにも思います。基礎(基盤)研究はもちろん重要ですが、一方向でない産学の連携も重要でしょう。また、その意味において医工連携もきわめて重要です。
  他の材料と異なり、バイオマテリアルは体内で長期間機能しなければならないため、安全性に対する厳格な審査が必要です。わが国では承認に費用と時間がかかるといわれています。それに対し、米国における、ベンチャー、ベンチャーキャピタリスト、さらにはFDAの状況は、迅速な商品化を可能としているように思えます。欧米の企業は1990年代以来、グローバルコンペティションの流れのなかで、合併、吸収を繰り返しながらブランド力強化を図り、国際標準に関しても世界戦略に基づき有利な立場を築いています。一方、我が国の企業は、電子デバイス、自家用車など、先端的な技術ばかりでなく、卓越した製造技術、品質管理技術によって国際競争力を維持していますが、グローバリゼーションに対応する流れがあり、またスピンオフ型ベンチャーが企業の活性化をもたらしているようです。厚労省承認のための速やかな審査実現に向けてシステムの充実、審査請求専門家育成も図られています。我が国の優れた研究が商品化に結びついていくよう、商品化のスピードが欧米に負けないような我が国型の総合的な開発システムの実現が期待されます。
 高齢により喪失した身体機能を回復し、社会に速やかに復帰することは、高齢者のQOLの確保、経済的負担の軽減、豊かで活気のある社会の実現もさることながら、その先端技術の提言は、先進諸国に先んじて超高齢社会に入る我が国の責務であるかもしれません。我が国の優れた研究成果が世界に広く使われるよう、実用化を進めようではありませんか。


「進歩賞」に挑戦を
日本セラミックス協会生体関連材料部会 副部会長
奈良先端科学技術大学院大学 物質創成科学研究科
大槻主税

(2004年10月発行、The Division No. 42より)

 日本セラミックス協会に生体関連材料部会が設立されて6年が経過しました。現部会長の田中順三先生のもとで事務的なお手伝いをしながら、本部会が活発に活動している雰囲気を実感しています。先の9月17〜18日には、日本セラミックス協会第17回秋季シンポジウムで“ナノインターフェイスの制御による医用セラミックスの開発と評価”の特定セッションを部会メンバーが中心になってオーガナイズして開催しました。1日半の限られた時間でしたが、招待講演2件と一般講演23件がありました。招待講演では、立ち見が出るほどの聴衆で会場が埋め尽くされました。この分野への関心と期待の大きさを反映していると思います。

 歴史の浅い生体関連材料部会は、若手研究者の育成を重視しています。昨年度の生体関連セラミックス討論会では、学生の座長制が行われました。本年度は、発表者に対する学生表彰が企画されています。Asian BioCeramics Symposium (ABC)も若手研究者の意欲向上を目的の1つに考えています。ABC2004は、韓国Kongju National Universityで開催されました。来年度(ABC2005)は北海道で開催の予定です。

 ここでは特に若手研究者を表彰する制度として、日本セラミックス協会賞進歩賞についてご紹介いたします。進歩賞は、推薦を受けた候補者から毎年5件以内が選定されます。生体関連材料部会からも、日本セラミックス協会賞へ候補者を推薦しています。推薦者を限定せず、最近の進歩賞受賞者の中から生体関連材料部会に関係の深い方々のリストを作ってみました。生体関連材料部会では、顔なじみの方々です。

受賞年

氏名
(敬称略)

受賞時の所属

受賞テーマ

2004年

都留寛治

岡山大学

有機成分をハイブリッド化したセラミックス医用材料に関する研究

2003年

川下将一

京都大学

医療用セラミック微小球の創製に関する研究

2002年

相澤 守

上智大学

生体活性テーラードマテリアルの創製と生物学的評価に関する研究

2001年

菊池正紀

物材機構

無機・有機界面を制御した骨組織誘導再生複合膜材料に関する研究

1998年

早川 聡

岡山大学

結晶およびガラスの重合構造に関する固体NMR研究

1998年

宮路史明

京都大学

バイオミメティック法による機能性生体材料の創製に関する研究

1997年

大槻主税

岡山大学

セラミックスの生体活性発現機構の解明に関する研究

 さて「進歩賞」の候補者になるには、支部長又は部会長による推薦か、個人会員5名以上の連名による推薦が必要です。「進歩賞」の候補者として推薦するための条件を簡単に記載しますと、

【対象内容】セラミックスの科学・技術に関する学術上優秀な研究業績を主に本会機関誌に発表した者。当該研究が現在進行中の場合も対象とする。

【資格等】ハハハハ 本会会員歴5年以上の個人会員又は学生会員で、その年齢が満35歳に達しない者。

となっております。詳細についてはhttp://www.ceramic.or.jp/csj/hyosho/hyosho_j.html をご覧ください。

従って、形式上は2つの用件を満たしている必要があります。

(1) 34歳以下で一般および学生会員として5年以上の会員歴が要求されますので、学生の頃から入会されるのが得策です。入会の方法については、

http://www.ceramic.or.jp/csj/nyukai/moushikomi.htmlをご覧ください。

(2)ハハハ 研究業績のうち主なものが、日本セラミックス協会学術論文誌に掲載されていることも条件になっています。同学術論文誌の審査、採択にかかる期間は現在、2〜3ヶ月程度と迅速です。

 これらの条件を満たしていて、学会で活発に発表し、討論している研究者を推薦しています。生体関連材料部会からの推薦は、部会長、副部会長で相談して決めています。推薦する候補者を検討する時期は、毎年7〜8月です。生体関連セラミックス討論会や年会、シンポジウムでの生体関連材料のセッションで「目立っている」若手研究者から選定をしていますので、学会に参加して自分の研究をアピールすると同時に積極的に質疑を行ってください。

 「進歩賞」を励みとして、それを受賞できた人も受賞を逃した人も、それぞれ研究者としての力を伸ばしていると思います。年齢制限もあり、なかなか難しい挑戦とも言えるでしょうが、可能性のある方は是非狙ってみてください。

 若手研究者を指導されている先生方も、この表彰制度を若手の育成にご活用ください。若手研究者を元気づけるために、今後も生体関連材料部会に関係する方の推薦に積極的に取り組みたく考えております。


「生体医療応用における磁性ナノ粒子の役割」
(Role of Magnetic Nanoparticles in Biomedical Applications)
東北大学大学院環境科学研究科 
B. Jeyadevan


(2004年7月発行、The Division No. 41より)
「生命体の多様性は何処まで?」
東北大学 大学院環境科学研究科 
井奥洪二

新年度がスタートしました。私事になりますが、3月には宇部で満開の桜に送られ、そして4月には仙台で満開の桜に迎えられた格別の年となりました。桜には、日本人に日本という国を意識させる力があるらしく、私も桜にくすぐられて、アイデンティティと多様性について考えさせられる新年度となりました。つい先日、イラクで拘束された日本人が無事に帰国し、しかし、彼らの発言をめぐって波風が立ち、あらためて、世界の中の日本について考えさせられました。

東京都教育委員会が都立高校の卒業式に向けて通達を出し、国旗掲揚位置は壇上中央にするように指示し、国歌斉唱では全員起立するようになど、こと細かく定め、揚げ句に監視役を派遣して違反者約180人を戒告処分等にした、という事件をご存知のことと思います。オリンピックイヤーともなると、多くの人が、国旗・国歌と自らのアイデンティティの結びつきを意識します。私は、日本人であることを誇りに思いますし、隣人の多くは、日本の国旗は日の丸、国歌は君が代だと理解しているように見えます。世界のどこででもそうであるように、国旗と国歌を前にしては起立し、襟を正すのが国民として自然な礼儀・規律であるように思います。しかし、日本人が1億3千万人もいれば、違う考えを持つ人も当然いるもので、それを認めるのもまた成熟した民主主義国家の国民の態度というべきでしょう。卒業式の国歌斉唱で起立しなかったと言っても、それがその人の信条であるならば、認められて良いと思います。まして国歌斉唱に際して教員が起立したかどうか、高校の卒業式に監視役を送るなどとは、母国の姿として恥ずかしくて、外国の友人たちに話すことがはばかられます。

ところで、都教委を批判した朝日新聞の社説(4月13日付)で「通達や校長の命令のすべてが「公」であり、教員は無条件に従わなければならないものだろうか」という論調がありましたが、これには違和感が残りました。やはり都立高校は公的な教育機関であり、その教員は都教委の通達や校長の命令に(無条件に、ではないにせよ)従うと期待されているのではないでしょうか。それが組織の秩序であり、高校教師とは組織の構成員でもあるはずです。組織におけるひとり一人のミッションは、必ずしも個々人の信条と相容れることばかりではないのです。

この点において、学問の自由のために権力からの独立を認められた大学は、他の教育機関とは性格が異なると考えます。大学は、たとえそれが国立大学であったとしても国家権力から独立して真理の追究を優先すべきであるし、その気概と覚悟が教員ひとり一人に求められていると思います。今春から法人化された国立大学は、どうでしょうか。国家・文科省からの独立が確保されているでしょうか。教員ひとり一人は、真理の追究のために学問の自由を死守する覚悟が出来ているでしょうか。入学式で日の丸を掲揚しても君が代を斉唱しても良いと思いますが、まさかそれが霞ヶ関ウケを狙ってだなんてことはないですよね。それが、この現世で大学自治を守るための処世術、方便だよ、と陰で舌を出しているのなら笑えるのですが・・・。

バイオマテリアルの研究こそ、我々生命体の本質である多様性を大切にし、独自性豊かな幅広いアプローチを試みるのが良いと思いますが、皆様、いかがお考えでしょうか。

(2004年5月発行、The Division No.40より)


"The Outlook for Bioceramic Growth in Thailand: The Viewpoint from University"
Dujreutai Pongkao Kashima (Chulalongkorn University, Thailand)

(2004年1月発行、The Division No39より)


最終更新日:2006年11月2日

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